第94回 GS木鶏クラブ【語らざれば愁なきに似たり】

11月9日(土曜日)に行われた94回目の木鶏会から、感想文を紹介します。

午後から『お客様大好き委員会』企画の講演会の予定がありましたので、講師の京都サンダーの新井社長にも参加頂きました。

今回は、いつも以上に重い内容で、四つの推奨記事全てで不覚にも涙してしまいました。更にすでに提出されている社員の感想文を読みながらも涙が出るほどです。『人の愁いに対して、言わないと分からないではなく、あることを慮ることが大切』との社員の感想をみて、無条件にお互いを尊敬する心構えを学びました。

紹介する感想文は、4月に新卒で入社したWEBエンジニアのものです。
私が親なら100%号泣します。是非、ご覧ください。

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「内なる悲しみと向き合う」を読んで、ニュースに取り上げられない虐待の被害者やネグレクトを受けた子供の心や想いを目にし、胸を冷たいワイヤーで締め付けられたような心地がした。その心地は、「万引き家族」を観た際の心境と似ていた。どうにも抗えそうにない生活における困難や環境、構造的暴力に対し、悲しみを抱えながら何でもないように生きなければならない境遇という点で共通していると考える。しかし、現実世界ではやり直しも編集も効かず、容赦なく流れゆく時と人の中で自らの足で歩まなければならない。その中を生きぬく人にとって高木さんや岩朝さんという存在は暗雲に優しく差す暖かな光であることは想像に難くない。

その暖かな光が全ての暗然たる空に差すとは限らないということがまた現実世界の残酷さだと思う。しかし、そのような状況に対して私達も何かできるはずである。つまり、人の話にひたすらに耳を傾け、悲しみや喜び、苦しみや楽しみを共有することはできるはずである。

対談の中にもあったが、人は悲しみを始めとした様々な想いを持って日々を生きている。私も日々の中で、べらべらと喋るには気持ちが追いつかないようなことに苦しみ悩むことがある。そのような苦しみに耳を傾け、寄り添ってもらえるだけでも大きな励みとなり、その時の気持ちは翌朝の朝日よりも清々しい。傾聴とは目と耳と心を相手に向け、寄り添い頷きながら聴くことだと考える。それだけで誰かの曇った心は晴れ渡ってまた輝き出すだろう。

最後に、この対談を読む中で自らの両親への感謝は増すばかりであった。私が今毎日元気に「いってきます」と言えるのは、無償の愛を目一杯注ぎ、あっちへこっちへと振り回され、傷つきながらも全力で私を一生懸命育ててくれた両親のおかげ以外の何物でもない。究極の愛を与えてくれた両親のように、私も与える人となりたい。「与えることはもらうこと」。また明日も、誰かの力となりたい。