第145回のGS木鶏クラブ【立志立国】

第145回のGS木鶏クラブから感想文を紹介します。
弊社の木鶏会は、13年目に突入しました。

今回紹介する感想文は、香港で在宅ワークをしている、27歳のエンジニアが書いたものです。
グループワークで海外から見た日本についての話す等、とても充実した木鶏会になりました。

「立志立国」という難しいテーマに対して、社説のような素晴らしい文章を是非ご覧ください。



 今回は櫻井よしこ氏と中西輝政氏の対談を拝読した。以前は前者の日本礼賛的な論調に心理的な不協和を感じることが多く、苦手意識を持っていた。しかし、香港に滞在する中、自国や他国の捉え方や多文化社会には様々な観点を選り好みせずに俯瞰して、自分の価値観を見直していこうと意識が変わってきた。このような自らの変化もあって今回の記事を選んだ。

 対談は古きに学び、「志」を現代の日本人も持って、日本の良きところ・悪きところを理解することが国の自立の一助となることを示唆していた。明治維新というダイナミックな変革を突き動かしたのは確かに英傑の志と言える。約260年余り続いた江戸時代から明治維新に移り変わるときには、日本という国としてのナショナリズムが起こり、精神面や社会体制面などあらゆるところに変化が起きた。

 このような政治的イデオロギーのダイナミクスは常に世界の中にある。グローバル化した世界かつ、あらゆる人権がより発展を遂げてきている中で移民問題や経済格差が発生し、「自国は誰のものか」というナショナリズムが活発になっているように感じる。最近の例だと、極右政党が台頭してきているドイツである。メルケル首相の時代にドイツは難民や移民を受け入れ、今では人口の約4%が移民という。経済低迷を受けて、AfDという政党は我が国を取り戻すというような政治的なメッセージを発信しており、支持率も伸びているようだ。

 ナショナリズムは必ずしも非難されるべきものではなく、左派に対するカウンターとして必要であり必然的なものである。グローバリズムという左派的な考えが広まれば、自国の位置づけや体制に対して危機感を持ち右派のナショナリズムが興る、というように互いに対立はしているが、相互補完的な関係にある。その中で民主主義的なプロセスと言論の自由が不可欠であることは言うまでもなく、ドイツの例にあった政党もこうしたプロセスを背景に支持率を伸ばしている。

 日本においても、人口減少問題や働き手の不足など、年々問題が深刻になっていくが、将来他国のような事態が起こるかもしれない。今回の対談を受けて、確かに日本という場所に住んでいる国民1人1人が志を持つことは必要だと考える。志という言葉を私は信念と客観的判断と解釈した。前者はミクロな視点だと家族や同僚、地域で共生する人々、マクロな視点だとその人々の生活や取り巻く環境、そして将来に対して、自らが何を還元できるかという利他の精神に基づいた姿勢である。後者は多種多様になっていくイデオロギーや価値観に対して、教養とファクトから批判的思考で常に考え続けることである。
 「日本」という大きなテーマから個人を見れば取るに足らない存在かもしれないが、一人一人が支えて動力となる制度が今の日本を作っている。様々なことにアンテナを張りつつ、志を持った人となれるよう日々考え続けて行動していきたい。